〇をつけよ。

ぼっち・人見知り・コミュ障との向き合い方を書いたブログ。

「高校でぼっち」ってある意味個性なので、恥じる必要はないんじゃないかという話。

「ぼっち=協調性がない」なんて言われますが。

ぼっちも捉え方、自分の気持ち次第で、他の人がマネできない個性になりますよという話でございます。

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・目次

 

1.ぼっちだった高校時代

わたしは高校生の頃、ぼっちでした。

特に高校3年生のときは、全くクラスになじめなかった。

女子高なのに、お昼休みは一人でご飯食べてました。

 

寂しかったです。

「なんで自分だけ友達の輪に入れないんだろう」とずっと思ってました。

 

でも、本当にクラスメイトの話に入れなかった。

クラスメイトがするテレビや漫画の話を楽しいと思えなかった。

自分が楽しいと思えないなら無理して話に加わらなくてもいいや、と思っていた節もあります。

 

だから、寂しいけどぼっちになることは自分で選んだ選択だと思ってました。

 

 

2.ぼっちだった高校時代を振り返って思うこと

今、ぼっちだった高校時代を振り返って何を思うか。

それは、「どうせぼっちなら、ぼっちを恥じることなく自分の好きなことをすればよかった」ということ。

 

当時のわたしは、自分からぼっちになることを選択したつもりでした。

そのくせ、内心ではクラスメイトからどう思われているかが気になって仕方がなかった。

 

なので、必死で「ひとりぼっちでも寂しくないわたし」を演じていました。

 

 

でも、今思えば、そのひとりぼっちの時間を有意義に使えばよかった。

せっかくひとりぼっちだったんだから、自分の好きなことを好きなようにやればよかった。

 

ひとりぼっちだということは、みんながテレビやアニメの話で盛り上がってる時間を、自分は何か他のことに使えるということです。

みんなと違う時間の使い方ができるということです。

その時間に趣味を極めてもいい。

一生懸命勉強するんでもいい。

 

ひとりぼっちの時間を効率的に使えば、その時間に身についたスキルは自分の糧になります

そのことに早く気がつけばよかった。

 

 

というか、周りが集団で行動するなかでひとりぼっちってある意味ものすごい個性的です。

しかも仲間意識と排他性の高い高校時代をぼっちで過ごすって、なかなかできないですよね。

 

それがいわゆる発達障害のように生まれもった特性なのか、自分の意思による選択なのかは人それぞれだと思いますが、とにかくそれは自分の個性なんだから、恥じる必要はないんじゃないかなと思います

 

 

 3.まとめ

 

今日言いたかった話を要約すると、「ぼっちでいいじゃん、気にすんなよ」ということです。

 

今日は自分のぼっちだった高校時代を正当化するためのブログになりましたね。 

ま、でも、ブログって自分の人生を肯定するために書くものなんじゃないですかね?

わたしはそう思ってます。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。